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連載コラム MCコラム第269話 「嫌われる勇気」をもってしても意識を変えることの難しさ―地元との60年に及ぶ軋轢を経て―

 

今回は私事(わたくしごと)を含めて、地方のビジネス状況について書いてみたいと思います。ちょっと愚痴にも似た話になることをお許しください。

さて、だいぶ昔の話ですが、私は小学校最後の年(つまり6年生ですね)に、児童会長(いわゆる生徒会長と同義)という役割を務めたことがあります。はっきりとは覚えていませんが、たぶん選挙があったはずですから、それで選ばれたことになります。当時は身体も大きく、勉強はできる方だったので、学校では目立つ存在だったのだろうと思います。とはいえ「俺は人気者だった!」などという自覚はまるでありません。自分に人気や人望があるのかないのかなんて、あの頃考えてもいなかったでしょうし、今でも思い出せません。

ただ、選挙で票が入ったということは、全体的にはそんなに嫌われていたわけでもなかろう、と言えるだけです。

何故わざわざこんなことを書くかといえば、好かれていたかどうかというのはそんな風に曖昧な記憶しかないのですが、嫌われていた方のことは、はっきりと覚えているからです。

先述のように目立つ存在だった私は、一部の上級生から目をつけられていました。小学校のときに、彼らから何回かブン殴られたこともあります。

 

そんな私が、地元の中学校に上がってきたら、いじめのターゲットにしてとっちめてやろう、と手ぐすね引いて待っている一部の上級生連中がいる、という話も人づてに聞いていました。というような事情もあって、あの頃、とにかく地元の中学校にだけは進みたくない、と思っていたのです。それも動機の一つだったのだろうと思いますが、とにかく何とか勉強をがんばって、町を離れ鹿児島市内の私立の進学校へ進んだのです。

こうやって、かろうじて地元の暴力の洗礼からだけは逃れることができました。

小学生の頃、生意気に見えるところは大いにあったかも知れないとはいえ、あえて敵を作って喧嘩をしようなどという気などさらさらなかったにもかかわらず、私のことをぶん殴りたいくらいに嫌っていた人間はそこそこいたことになります。

他人のことなど放っておけばいいと思うのですが、とにかくそんな連中が、私の地元にはいたのです。何故そんな思考になるのか、いまだに彼らの心境というのはわかりません。

 

さて、あれから60年近く経ちました。20年ちょっと前に同じ田舎の町に帰り、私はそこで今の仕事(ビジネス)をしています。その後、東京でのビジネス(コンサルティング)も立ち上げ、何かと不便な状況の中、両方の仕事をこなしています。今回は、その地方におけるビジネスの現況を書いてみたいと思います。

今、小学校の頃みたいに目立つ存在かどうかはわかりませんが、とにかく地域で一定のポジションを得ていることは確かです。税理士とコンサルタントという仕事の関係上、多くのお客さんの支持を得られなければ成り立ちません。

私の事務所は、微増ながら毎年成長発展しているので、幸いにして、ある程度の支持は得ているのだろうと思います。

 

しかし、ここで私は、ふと先述の小学生の頃のことを思い出したときに、やはり、一定私を嫌っている人、敬遠している人の存在があることに気がつきます。

この構造は小学校の頃とさほど変わっていないのではないか、ということに思いが至るのです。誰からも好かれる、ということがいかに難しいか、ということはよくわかっているつもりです。というより、そんなことはあり得ないのだから、ことさら目指す必要もない、と理解しています。どんなに馬が合って「こいつはホントにいい奴だよなー。」と、私が思っている友人がいたとしても、そいつのことを嫌っている人間は一定程度いるものです。ましてや私など、嫌う人間がいるのは当たり前、と思った方がいいのでしょう。

 

そんなことを考えながら、ふと本棚を見ると、「嫌われる勇気」というタイトルの本が目に入りました。こんなタイトルの本が出版されているということは、私と同じようなことを考えている人間が多い、ということなのでしょうか。私の場合、誰からも嫌われたくない、と思っているわけではありませんが、こっちがそれほど思ってもいないのに、向こうからは嫌われる、という状況がなんだか釈然としないだけの話なのです。だから私もたぶん「嫌われる勇気」のない人間なのでしょう。

 

さて、仕事を通じて地元とのお付き合いはあるのですが、私とはどうしてもそりの合わない、という経営者の方は一定いるようです。仕方がないさ、と思うものの、どうしてそんなに合わないのかがわかりません・・・というのは、まあ本当はウソで、なんとなくわかってはいるのです。

それはおそらく、私が、これまで営々と続いてきた地元の価値観とか経営観とかに対して、極めて否定的な見解しか持っていないからだろうと思います。

そんな私に対して、あの方たちは、本能的なところでなんともいえないそりの悪さを感じているのでしょう。もちろん、こちらが否定的になるのにはそれなりに理由はあります。

私が否定的にならざるを得ない地元経営者の価値観というのは、それがすでに過去のものに過ぎないからです。

現代の経営において成功発展したければ、そういった発想をチェンジするしかないにもかかわらず、昭和の経営観から抜け出ていません。

これでは、もはや現代のビジネスシーンでは通用しないことは明らかなのです。

 

小学校の頃は、あいつは生意気そうだというので、地元の上級生の連中から標的にされました。今は、ビジネスに対する価値観や経営観の違いで、一定の経営者には、上記のように、なにかしらの嫌悪感を持たれているようなのです。

そんな環境の中とはいえ、現代的な経営感覚を持つようにした方がいいですよ、という私の意見は、ずっと地元企業のために随分言い続けてきました。

それも、嫌みな言い方や厳しい言い方ではなく、自分としてはできるだけ優しく易しく言ってきたつもりです。

その一つが、私の専門である「情報発信(アウトプット)」ということになります。

しかも実践して見せなければ意味がないので、自分の手掛けている事業についてインターネット、SNS、ラジオ、地元紙などを通じて発信してきたのです。

ただそうすると、期せずして地元ではやはり目立つ存在になります。

そこでまた、上記のような軋轢が起こってくることになるのです。

とはいえ、とにかくこれまでの意識を変えていただかなければ、道は開けない、そう思って伝え続けてきました。

しかし、異質分子はどうしても受け入れられない、という一定の層もあるようなのです。

小学校の頃も私は、一種の異質分子だったのか、と今にして思います。いかにも地元っ子らしい年上の連中とはそりが合いませんでした。
60年以上も続くこの戦い、いつになったらどうやったら収拾できるのだろうかと思います。